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観音菩薩坐像・阿弥陀如来坐像・勢至菩薩坐像(県指定有形文化財)

観音菩薩坐像・阿弥陀如来坐像・勢至菩薩坐像

世田米鉢ヶ森(光勝寺)
 開基も不明なほど歴史が古く、秀衡の時代に「気仙五金山」のひとつ「野尻金山」で働く約3,000人の掘り子のために藤原氏が建立した阿弥陀堂が始まりといわれます。寄木造りの阿弥陀像、一本彫りの菩薩像は平安末期の作。住職不在、洪水、火災、移転という波乱の歴史をくぐり抜けて現存します。

左から観音菩薩坐像、阿弥陀如来坐像、勢至菩薩坐像

聖徳太子像(町指定有形文化財)

聖徳太子像

上有住八日町(玉泉寺)
 室町期に造られた高さ1mの一本木彫りの像で、廃寺となった熊野山常光寺から引き継がれました。「太子十六才像」とも呼ばれ、拝むと病気が治ると信じられてきました。また太子は日本建築の始祖といわれることから、今も建築の御加護を祈ってお詣りする人の姿が見られます。

阿弥陀如来坐像(町指定有形文化財)

阿弥陀如来坐像

上有住桧山(桧山阿弥陀堂)
 室町期作、坐像としては町内最大の仏像です。当初安置されていた五葉山別当万禄山大泉寺は、天正以前、度重なる山火事で多くの仏像を焼失しました。同寺は葛西氏滅亡後に廃寺となりましたが、阿弥陀堂は桧山紺野家によって伝承されてきました。

下在大名行列・大平大念仏剣舞・外舘鹿踊・大股神楽・月山鹿踊
(町指定無形民俗文化財)

下在大名行列・大平大念仏剣舞・外舘鹿踊・大股神楽・月山鹿踊下在大名行列・大平大念仏剣舞・外舘鹿踊・大股神楽・月山鹿踊

 町内で行われている郷土芸能の多くは、藩政時代から伝承されてきました。京都本願寺の行列に関連するといわれる「下在大名行列」、文政年間に金山掘りに来た人が伝えたという「大平大念仏剣舞」、宝暦年間に上有住中村屋敷の甚内という人が伝えたという「外舘鹿踊」、南部神楽系統の「大股神楽」、勇壮華麗な「月山鹿踊」などがあり、歌や踊りの中に民衆の気持ちを垣間見ることができます。

栗木鉄山跡(県指定史跡)

栗木鉄山跡

世田米字子飼沢
 伊達藩士・三浦乾也が築造した藩営洋式高炉。明治期以降、一時は民営製鉄所として全国3位の生産高を誇り、官営となっては南部鉄器の原料を水沢羽田に供給しました。国内唯一現存する明治、大正期の原料立地の山地型小高炉製鉄所跡で、残る遺構も多く、とても貴重とされています。

気仙大工の技 満蔵寺山門

気仙大工の技 満蔵寺山門

世田米本町(満蔵寺)
 気仙大工の故郷といわれる住田町。その技を随所に生かした気仙随一といわれる山門で、豪壮さと繊細さが混在します。元治元年(1864)松田大五郎棟梁によるもので、入母屋瓦葺きの屋根、彫刻、組物などが見どころ。一直線上に配された石門、総門、山門、本堂も特徴的です。