国指定史跡 栗木鉄山跡

2025年3月10日

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栗木鉄山は、明治14(1881)年から大正9(1920)年まで稼働した製鉄所です。

「鉄山」というと、鉄鉱石を掘っていた鉱山なのかなという印象を持つかもしれませんが、鉱山ではなく、鉄を作る「製鉄所」の方です。

栗木鉄山には、鉄を作る高炉が2つあったほか、日用品を作る鋳物工場もありました。さらに、職員・工員住宅、郵便局や購買、そして学校までが設置され、一つの製鉄村を形成していました。

最盛期の大正6年には、従業員が五百数十人いたと言われています。

銑鉄生産量は、一時期ではありますが、日本で第4位、民間では第3位を誇っていました。

原料の鉄鉱石は、江刺郡(現在の奥州市江刺)人首から採掘し、牛馬で高炉まで輸送。(後半は、鉄索(現在のロープウェイ)で輸送。)

燃料の木炭は、周辺の木を使用して自家生産する一方、二戸郡地方からも購入していました。

 

栗木鉄山跡は、長い間国有林の中で保存されていましたが、その存在がクローズアップされたのは、昭和58(1983)年でした。栗木鉄山の跡地が国道397号改良工事に伴う新ルートに含まれ消滅の危機に瀕したのです。本町では、貴重な産業遺産であることを認識し、当時製鉄史の研究者でもあった岡田廣吉東北大学助教授から指導助言をいただきながら、路線変更を働きかけました。その結果、遺跡の中心部を避ける路線への変更と工法の工夫で最小限の破壊に止まりました。

 

本町では、遺跡の保全と活用を図るため、平成7(1995)年に栗木鉄山跡地の土地取得を行いました。その間、平成5(1993)年には遺跡の現状把握と試掘調査を実施し、遺構の残存状態を把握しました。

 

遺跡の公有化後、平成8・9(1996・1997)年にも継続して試掘調査を行い、閉山時の遺構が極めて良好な状態で保存されていることを確認しました。この調査に基づき、近代製鉄史上重要な遺跡として平成9(1997)年に住田町史跡に指定しました。さらに、平成10(1998)年の内容確認の試掘調査を経て、平成11(1999)年には岩手県指定史跡に指定されました。

 

平成19(2007)年の大雨等により第2高炉北側の石垣の一部が崩落し、高炉等への影響が懸念される状況となったため、平成21(2009)年に石垣工事で影響を受ける石垣上部の内容確認調査を実施し、平成23(2011)年には石垣復旧工事を実施しました。

 

史跡価値について更なる明確化を図るため、平成28(2016)年に「栗木鉄山跡調査指導委員会」を設置し、詳細な内容確認と残存状況の確認を目的とした内容確認調査を実施し、令和2(2020)年に報告書を刊行しました。そして、文化財の価値が認められ、令和3(2021)年に国指定史跡に指定されました。

 

ちなみに…

この栗木鉄山跡のある一帯は、「種山ヶ原」と呼ばれています。「種山」の由来は、棚のようになだらかなので、「棚山」から「種山」になったという説や、豊作になるように種籾をお供えした場所という説、製鉄用語で鉄鉱石のことを「種」と言いますが、鉄鉱石の採れる山なので「種山」となったという説など、色々な説があるようです。

 

おまけに…

この栗木鉄山には、宮沢賢治も来たことがあると言われていて、賢治の「十六日」という作品は、栗木鉄山が舞台と言われています。

 

栗木鉄山跡 全体図

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第一高炉

栗木鉄山は、明治14(1881)年に小牧倉鉄山の高炉を栗木沢に移転して操業が始まったとされています。その高炉が第一高炉です。

第一高炉では、一日に2~3トンの鉄を生産していたとのことです。明治44(1911)年の解体修理後は一日5トンの鉄を生産するようになりました。

その明治44年の解体修理の際、炉底に原料鉱石中に含まれる微量の金が排出されずに堆積しているのが発見され、社員に臨時ボーナスが支給されたと伝えられています。

 

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現在の第一高炉跡の様子

 

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当時の第一高炉の様子。鉄鉱石を運んできたと思われる牛馬が見え、往時の活気が感じられます。

 

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もう一つ、当時の第一高炉の写真。熱風炉が設置されているので、明治44年の改修後と思われます。

 

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平成29年の第一高炉の発掘調査の様子。炉底や炉壁が良好な状態で保存されていることが分かります。

 

本社事務所

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現在の本社事務所跡です

 

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当時の本社事務所

 

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本社事務所跡 平成29年の発掘調査の様子です。礎石がきれいに並び、建物の構造が判明しました。

 

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発掘調査で出土した遺物。右がインク瓶。左がビール瓶です。

 

購買部

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当時の購買部の様子。おそらく、栗木鉄山の鋳物工場で作られたと思われる鉄瓶がずらりと並んでいます。

 

第二高炉

明治41年に建設された第二高炉は、炉頂ガスを再利用した熱風炉が併設され、一日5トン(大正2年に改修後は8トン)の鉄の生産していました。その構造は現代様式に近かったと伝えられています。

明治44年には鉄索を設置し、合理化を図っています。

 

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現在の第二高炉付近。奥には、地上の遺跡で最も大きい石垣があります。

 

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当時の第二高炉付近の様子です。

 

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当時の第二高炉の近景。左側に見えるのが第二高炉です。右下が煙突の基礎部分で、2つ上の写真にも時代を超えた同じものが写っています。

 

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平成8年の発掘調査の様子。基壇と呼ばれる高炉の基礎部分がかなり良好な状態で保存されています。

 

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同じく、平成8年の発掘調査の写真で、地下排煙口です。こちらも、とても良好な状態で保存されています。

 

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平成9年の発掘調査の様子。こちらは熱風炉の燃焼室です。

 

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第二高炉と熱風炉の全景。平成10年の発掘調査の写真です。

 

鋳物工場

鋳物工場では、鍋、釜、鉄瓶、風呂鉄砲等の日用鉄器のほか、トロッコ用の車輪や直径30cmくらいまでの鉄管等も鋳造していたといいます。また、近隣の大鍛冶や奥州市水沢田茂山の鋳物屋に銑鉄を供給していたとも伝えられています。

 

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当時の鋳物工場の写真。鋳型がズラリと並んでいます。

 

山神社

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当時の山神社の写真です。

 

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明治44年の山神祭当日の様子です。当時の賑わいを感じます。

 

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こちらも当時のお祭りの様子。

 

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もう一つ、お祭りの写真。

 

その他

住田町教育委員会では、毎年、栗木鉄山跡見学会を開催しています。

開催の案内については、こちらに掲載いたします。

 

見学会とは別に、個別に見学を希望される方は、下記リンクでお申し込みいただくか、住田町教育委員会生涯学習係までご連絡をお願いいたします。

住田町への視察について | 住田町

 

また、栗木鉄山の当時の写真や、鉄瓶などの栗木鉄山に関する資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、住田町教育委員会生涯学習係までご連絡をいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

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電話:0192-46-3863
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