日本遺産「みちのくGOLD浪漫」
住田町と一関市が、令和8年9月1日、日本遺産「みちのくGOLD浪漫」の構成自治体に追加認定されました。
住田町では、「気仙川の砂金」「阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)」「採金道具一式」「野尻(のじり)金山跡」「旧菅野家住宅」「紺紙金字『大乗大集地蔵十輪経巻第二』(こんしきんじ『だいじょうだいしゅうじぞうじゅうりんきょうかんだいに』」「大平・梅ノ木念仏剣舞(おおだら・うめのきねんぶつけんばい)」の7件が「みちのくGOLD浪漫」の構成文化財に追加されました。
日本遺産とは
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー(物語)を文化庁が認定する仕組みです。個別の文化財の価値づけが中心の指定文化財や登録文化財、保護が中心の世界遺産とは異なり、有形・無形の文化財群を地域が一体となって活用し、活性化につなげることを目的としています。
「みちのくGOLD浪漫」とは
日本遺産のひとつ。奈良時代に初めて金が産出された宮城・岩手の歴史や文化財をストーリー化したものです。
令和元年5月20日、宮城県涌谷町、気仙沼市、南三陸町、岩手県陸前高田市、平泉町の2市3町を構成自治体として「みちのくGOLD浪漫」は誕生しました。
その後、令和4年7月に宮城県石巻市、令和7年7月に岩手県大船渡市、令和8年9月に岩手県住田町、一関市が加わり、現在は5市4町の体制で歴史と文化、そして文化財を活かした地域の活性化に取り組んでいます。
みちのくGOLD浪漫 黄金の国ジパング、産金はじめての地をたどる(みちのくGOLD浪漫推進教委議会)
住田町の構成文化財
(1)気仙川の川砂金(けせんがわのかわさきん)
気仙川では奈良時代から砂金が採取され、奥州藤原氏や藩政時代の仙台藩を支えてきました。1976(昭和51年)には町内から当時日本で3番目に大きい22.4gの砂金が発見されました。現在でも砂金を採取することができ、悠遠な地質史を物語っています。

砂金とり体験の様子

気仙川で採取された砂金
(2)阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)
藤原秀衡公が、野尻(現在の世田米川向周辺)で金採取する人たちのために阿弥陀堂を建立し贈ったものと伝えられています。御本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)は中尊寺の仏像と酷似しており、奥州藤原氏が産金地を大切にしたことを物語ります。

光勝寺の阿弥陀三尊像(県指定有形文化財)
(3)採金道具一式(さいきんどうぐいっしき)
川砂金採取や金鉱山で使用されていた道具類。古代より続けられてきた砂金とりは、近世の御本伴制度を通じ、地域の人々の生活を支える生業として根付き、昭和初期まで砂金採りをする姿が見られました。暮らしの中に溶け込み、息づいてきた道具です。
住田町民俗資料館の採金道具一式
(4)野尻金山跡(のじりきんざんあと)
野尻周辺は、奥州藤原氏の時代から金が採取されいた地域で、戦国時代になって金山として開発されると、全盛期には何千人もの堀子が集まり、鉱山長屋などができて町があったと伝えられています。玉山金山と同じ時代に採掘されていた栄枯盛衰を物語る金山跡の一つです。
この場所に、かつて鉱山長屋が立ち並んでいました。
(5)旧菅野家住宅
明治から昭和の豪商の店舗兼住宅。当時は川砂金の買い取りも行っていました。1890(明治23)年、世田米大渡で長さ4cm、幅3.5cm、厚さ1.4cm、88gの巨大な金塊を買い取りし、1900(明治33)年のパリ万博に出店したという記録が残っており、金堀りたちの“金”への憧れを今に伝えています。

旧菅野家住宅(国登録有形文化財) 。現在は、住民交流拠点施設、まちや世田米駅として利用されています。併設しているレストランも好評です!
(6)紺紙金字「大乗大集地蔵十輪経巻第二」(こんしきんじ「だいじょうだいしゅうじぞうじゅうりんきょうかんだいに」)
藤原秀衡公が中尊寺に奉納した紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)の中の一巻と考えられています。同時の信仰が金によって支えられていたことを理解できるだけでなく、奥州藤原氏が願った「争いのない平和で平等な世」を伺い知ることができる貴重な資料です。

国宝級の価値があると言われている紺紙金字「大乗大集地蔵十輪十輪経巻第二」(町指定有形文化財)
(7)大平・梅ノ木念仏剣舞(おおだいら・うめのきねんぶつけんばい)
文政年間(1818~30)、磐井郡から小府金金山に働きに来ていた踊り師匠によって演じられ、地元につたえられたのがはじまりと言われています。金を通じた人々のつながりによって根付いた住田独自の民俗芸能です。

大平・梅ノ木念仏剣舞(町指定無形民俗文化財)
その他
日本遺産「みちのくGOLD浪漫」に関わるイベント等は、このページで紹介いたします。