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史跡・名勝3

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23.新切御番所跡(にいぎりごばんしょあと)
新切御番所跡慶長3年、伊達領には27ヵ所の番所が設置された。住田には「新切番所」と「二度成木番所」「小股番所」の3ヵ所があり、ともに南部領内との境にあった。新切番所には今泉奉行所から役人2名が90日交代制で勤めていた。
24.新切部落ドビヤ(にいぎりぶらくどびや)
新切の「ドビヤ」「ドビヤ」とは、岩山の上の洞窟に「御宮」が祀られてあり、それが「洞宮」、訛ってドビヤとなったといわれる。部落内の御宮が荒れていく中、ある日訪れた山伏の進言に従って神様を一か所に集め、年1回のお祭りを行っている。


25.九両が池と櫃割長者
(くりょうがいけとひつわりちょうじゃ)
九両がい池大金持ちの長者が、庭の真ん中にある大きな池で、魚ではなく九両をすくった。やがて大判で蔵が埋まり、入れ物に困って櫃に入れたら櫃が割れたことからこの池を「九両が池」、長者を「櫃割長者」と呼んだという伝説が残る。
26.鏡岩(かがみいわ)
鏡岩古くから景勝地として、また信仰の対象として親しまれている。名前は、月夜に松の影がまるで鏡に映るがごとく岩に映し出され、特に十五夜は見事な情景となることに由来する。鏡岩から湧き出る水は目の病に効用があるという。


27.下有住供養前(しもありすくようまえ)
供養の森いつの頃からか、地理的にも景観的にも恵まれたこの地に、村の発展を願って鎮守の森がつくり上げられた。今は昔の面影も薄らぎ、古桜と老松だけが往時を語っているかのようである。芭蕉の碑や名馬の碑が根元に建っている。
28.玉桂と長桂寺(たまかつらとちょうけいじ)
長桂寺の玉桂天文23年に一翁舜嶽大和尚により開基された寺の近くに高くそびえる桂があることから長桂寺となった。その後、落雷で幹は倒れたが、根から数十本の芽が伸びて遠くから玉のように見えたという。桂の樹齢は800年以上。


29.種山ヶ原(たねやまがはら)
種山ヶ原江刺市の一部を含む広大な高原。宮沢賢治がこよなく愛し、たびたび訪れた。伊達藩時代から放牧地として利用され、現在も500町歩が草地造成されている。物見山標高871㍍には、無人雨雪量観測所が設置されている。
30.熊野山常光寺址(くまのさんじょうこうじあと)
熊野山常光寺址鎌倉時代の嘉禄年間に天台宗に属した寺として創建された。「気仙風土草」に長さ2尺余りの鐘があったと記録されている。現在は鎌倉、室町期の古碑があり、「十六才聖徳太子像」ほか2体の仏像が玉泉寺に安置されている。


31.平田城(外根岸城)址
(ひらたじょう(そとねぎしじょう)あと)
平田城址「平田の砦」とも呼ばれていた。慶長6年、南部勢がこの砦を攻撃し、激戦が展開されて、付近には屍が累々と横たわる無残な光景が繰り広げられたという。
32.葉山薬師神社(はやまやくしじんじゃ)
葉山薬師神社古くから「葉山のお薬師様」と親しまれ、室町期は葛西氏の旗頭・千葉氏の氏神だったと伝わる。お天王様(牛頭天王)を祀っているが、馬頭観音信仰もあったと考えられる。


33.浄福寺とイチョウ並木
(じょうふくじといちょうなみき)
イチョウ並木天文5年の開基で、現在の伽藍は寛政12年の建立。伊達藩の領主が巡視の本陣として止宿した記録が残る。参道のイチョウと境内の笠松は開基の頃に植えられたと伝わる。
 


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