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史跡・名勝1

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1.四十八滝(しじゅうはちたき)
四十八滝大小の滝が連なって気仙川に注ぐ。中でも「竜灯の滝」は、高さ25㍍余りあり、気仙地方では最大。四十八滝神社・大明神・十二神が祀られてあり、山岳信仰盛んなころは大勢の信者が、寒中も滝に打たれながら修行を続けたという。
2.天照御祖神社(あまてらすみおやじんじゃ)
天照御祖神社寛政年間は和山入口の火石に祀られていたが、後に現在地に遷座し、土地神として信仰されていた。後に現在の社殿は昭和52年に大改修された。祭典(旧3月16日)には大名行列・郷土芸能・山祭手踊りなどが行われる。


3.世田米城跡(せたまいじょうあと)
世田米城跡古くは気仙二十七城の一つで、遠野南部氏の気仙進入を防ぐ重要な位置にあり、「下館」「新城」とも呼ばれた。南北200㍍、東西100㍍、高さ50㍍の小山が城郭のすべてで、八幡神社の祀られている山頂が本丸跡である。
4.藩境と蛭子舘金山跡
(はんざかいとひるこだてきんざんあと)
蛭子舘金山跡かつて気仙五金山の一つ。南部、伊達両藩の境にあるため、長い間紛争が絶えなかったが、寛永18年、両藩の役人が領界を申し合わせてようやく藩境が確定した。明治末期の記録や絵図面では約15万坪の経営面積と記されている。


5.日門城跡(ひかどじょうあと)
日門城跡町内・千葉家の系図によって知られた城。慶長6年秋、世田米城の阿曽沼広長が遠野勢の侵入を受け、火の土で迎え戦ったが、この時日門城が大いに役立った。土塁が残っているほか、本丸跡や二つ丸跡と考えられる平場がある。
6.法霊権現社(ほうれいごんげんしゃ)
法霊権現社「元禄」の年号のある棟札には元禄期の木像「不動明王像」が安置されている。別当の神原家は蓬莢山葉山寺成就院と名乗っていた当山派修験法印といわれる。祭日は6月14日。


7.蔵王洞窟遺跡(ざおうどうくついせき)
蔵王洞窟遺跡縄文早期~晩期までの古代先住民族の住居跡。数度にわたる発掘調査で横穴式住居跡、副室などが確認された。出土品も多く、尖頭底土器をはじめとする土器には独特の「蔵王紋式」があり、蔵王文化の中心をなしていたと思われる。
8.樋ノ口城と城玖寺(ひのくちじょうとじょうきゅうじ)
城玖寺樋ノ口城は城玖寺裏山にあり、住田では最後の築城。天正年間に葛西氏の命を受けた松田氏一族が上有住城の支城として築いたが、葛西氏の没落とともに廃城となった。城玖寺は松田氏の菩薩寺であり、気仙三十三観音の17番札所。


9.八幡様の御神木(はちまんさまのごしんぼく)
神木八幡神社の奥宮の前に、一際高くそびえている老杉を、地元では「八幡様の御神木」と呼んでいる。慶長7年に上有住城主千葉内膳が内神を祝す際に植えたと言われ、昭和63年の巨樹・巨木調査では気仙管内第4位にランクされた。
10.湧清水洞窟遺跡(わきしみずどうくついせき)
湧清水洞窟横穴式洞窟で、数千年前の縄文早期から晩期にかけての住居。昭和48年、地元の若者たちが洞窟内で人骨を発見。その後の本格的調査で28体分の人骨を採掘した。大歯が抜かれており、大人の仲間入りの儀式があったと考察される。


11.荒脛神社(あらはばきじんじゃ)
荒脛神社「東日流外三郡誌」に2700年前、大和地方の王者ナガスネ彦が、神武天皇との戦いに敗れ、兄の安日彦とともに津軽十三湖まで逃亡してアラハバキ王国を築いたと伝わるが、このお社をなぜ、「荒脛」と呼ぶかは謎である。
 


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